「機動戦士ガンダム」を作った人の影響を受けたこと、または作品とは

「機動戦士ガンダム」を作った人の影響を受けたこと、または作品とは何ですか? 円谷とか竜の子、手塚治虫とかの影響とかも大きいんでしょうか?
不動産の売却は「不動産の窓口」

えぇっと…
ガンダムの原案も担当した監督、富野由悠季氏が影響を受けた
もの、という事でしょうか。
少年時代、彼の父は技術者で、旧日本海軍に協力し軍用の与圧服
の開発に参加していたそうで。これは、開発中だったロケット
エンジンで飛ぶ(!)戦闘機に用いるための、専用の防護服です。
結局モノにならなかったのですが。
そうした背景のせいでしょう、富野少年は宇宙・天文のマニア
だったそうで。専門書を読みあさり、ロケットの技術とか天体
の物理理論とか、貪欲に吸収していたのだそうで。これが、後年
アニメに関わる際に役立ったと自ら語っています。
絵が好きでその後映像に興味を抱き、日本大学の映画科に入り
ました。映画、映像の演出家としての第一歩と言えるかと。
日芸を出て、虫プロに入社しました。それこそまさに手塚治虫
のプロダクションです。ここで作られていた日本最初の連続
テレビアニメ「鉄腕アトム」(’63)の、演出、脚本に関わる事に
なりました。
氏は本当は実写映画畑に進みたかったのだそうですが、もう日本
の映画界が斜陽になりかけていた時期だったので、不本意ながら
アニメの会社に入ったのだ、と自嘲とも韜晦とも取れる発言を
後年しています。
この頃の日本のTVアニメというのは、とにかく絵が動かない。
予算と時間と技術が乏しく、また業界自体の経営やビジネスが
まだまだ未開拓だったので。映像畑を指向していた富野氏は、
ゆえにこの虫プロでの仕事に不満を抱いていたのだそうです。
「いわゆる『マンガ屋』しかいない所だ、映画の演出家と言う
ものがいない場だ」と。が同時に、動かないアニメ絵でいかに
映像作品を創り出すか、というセンスも鍛えられたのだとか。
スケジュールやカネに厳しいテレビアニメ界で生きて行くのに、
これも非常に影響が大きかったはずです。
虫プロ退社後、フリーのアニメ演出家として絵コンテマンを
各社の各作品で務め続けました。それこそタツノコ作品や、
高畑・宮崎系の名作劇場や、有名無名の色々なロボットアニメ
や、色々手掛けました。特に高畑・宮崎両氏には、尊敬込みの
敵愾心を抱くようになり、両氏がジブリとして国民的な知名度
を得たのちも、事ある毎にその作品へ言及をしています。これは
今も変わらない。
あと、「ガンダム」の着想に直接影響を与えたものとなると、
ロバート・A・ハインラインという米国のSF作家が書いた
古典SF小説「宇宙の戦士」(’59)でしょうか。これは、「ガン
ダム」最初の企画時のブレーンだった企画・デザイン集団
「スタジオぬえ」から示されたものだったそうで。これに
出て来る動力付きの装甲服「パワードスーツ」が、「ガンダム」
という企画の大元になったとされています。結局、合体オモチャ
を売りたい玩具会社に厳しく命じられ、合体変形巨大ロボである
モビル「スーツ」なる設定になったのですが。
また、劇中のオトナが頼りなく、時に卑怯で劣った集団という様な
描写であるのは、要するに初代ガンダムが、 ’70年代の世の中を
覆っていた「学生運動」や「反体制」の空気を引きずった作風だった
からです。
その頃の学生運動や反体制活動、つまり「異議申し立て」のムーヴ
メントは、やがて現実の社会に当然敗北し、そこからヒッピーや、
反物質主義・反文明志向、あるいは麻薬やLSD、さもなくば過激派
テロなどに繋がって行きました。
「Don’t Trust Over Thirty」
つまり
「30歳過ぎのオトナを信じるな」
…というのがそうした若者たちのモットーでした。
若者のカリスマだったビートルズの元メンバーが、インドに渡り
ヒンドゥー教に傾倒し、またLSDや大麻で騒動を起こしたりしたの
が、まさに70年代の事でした。
初代ガンダムは、そうした既存の社会・システム・状況への反発、
そして青春の悩み・戸惑い、さらにその果てに新たな境地、精神世界
へと至る…と、こう言うコンセプトでした。オトナが作った既存の
社会への反発、「オトナは汚い、社会は偽善だ」、そういったドラマ
ツルギーが根底にあった作品だったのです。
なので、汚くて不実でどうしようもないオトナや世の中、というのが
むしろ不可欠だったのです。それをテレビまんがとして解りやすく
具現化するために、上官・高官はあくまで汚くずるく嫌ったらしく
描いたのでしょう。つまり、彼らは要は若者が歯向かい打倒すべき、
しかし現実には自分らのアタマの上を抑えている、「オトナ」「現実」
なるモノの象徴です。
また、ララァはなぜか唐突にインド人です。実はこれも上記と密接な
関係があります。上で述べた「反体制」のムーヴメントで現実の社会に
破れ、反物質主義・脱文明志向へと流れていった若者の動きがかつて
あり、その先に精神世界や神秘主義や宗教に連なる形で、インドの
ヒンドゥー教が大きく取り上げられた事があったからです。ゲンジツ
を打破するには、非現実的なインドだ神秘主義だ!というわけです。
「ニュータイプ」なる劇中設定も、そうした現実の物質主義への
アンチテーゼがもたらした、願望というか妄想だったと思えます。
こうした反物質・脱文明指向が、他にも「宇宙存在とのチャネリング」
だの、「自己啓発」だの、さもなくば一部の犯罪カルト宗教だのの
源流になったと言われています。
こういう界隈を「ニューエイジ思想」などと言い、毀誉褒貶する所
ではあります。
全体として、あのアニメはアニメやマンガやTV番組だけに影響を
受けたのではありません。富野監督を含めた作り手たちの、生きて
いた時代と世の中との色々な様々が、「ガンダム」と言う作品を
形作ったのです。
◆おぉー力作っ! ありがとうございます!
◆「富野カントク」が影響を「受けた」こと・作品が知りたいということでよろしいでしょうか。
富野カントクは手塚治虫率いる「虫プロ」で,「鉄腕アトム」の演出を手掛けていて(全193話のうち演出した回数では富野氏が一番多かったとのこと),直接手塚氏から指導を受けたこともあったそうです。
ですから,少なからず影響は受けていると思います。
それから,70年代アニメに多大な功績を遺した「長浜忠夫」氏には「監督の立場から作品全体をコントロールする術を学んだ」とカントクご自身が語られています。
また,富野カントクがガンダム(第一作)を作るときの合言葉が「ヤマト(宇宙戦艦ヤマト)を潰せ!」で,かなり意識していたことが伺えます。
…実はあともう一つ,宮崎駿氏が初めて監督を担当した「未来少年コナン」も仮想ライバルに上げていたそうですが,本人いわく「かすりもしなかった(完敗した)!」とのことです。
◆バイファムとかは影響受けた感じしますね。